プロフィール

1970年(昭和45年)千葉県千葉市に5歳上の姉と2歳上の姉の末っ子長男として生まれました。
父は商社に勤務するスーパーサラリーマン、専業主婦である母、そして、女でひとつで母を育てた祖母との暮らしでした。

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女系家族の影響か、女の子に間違われる事も多かった幼少時代・・・
そんな幼少時代に、空前の第一次スーパーカーブームの当来!!

千葉市でスーパーカーが見られるイベントを見にいき、見る車全てに驚きと感動があり、その中でも小さなボディーながら大きな存在感に圧倒されたのが、BMWだったのです。

何の情報も無い時代に、BMWの由来から歴史を、子供ながらに夢中になって調べていたのを今でもよく覚えています。

そんな平凡な暮らしの中、私には三度の転機が訪れました。

● 一度目の転機(中学2年生の時)

子供の頃から歌手が大好きで、TVの中で歌って踊っているアイドルに衝撃を受け、
どうしても自分もそのようになりたいと強く願っておりました。

親、姉弟、友人に相談しましたが、誰ひとり真剣に聞いてはもらえず、
しかし、そんな事では前に進めないと思い、持ち前のチャレンジ精神と自分は出来るという勝手な思い込みにより、その事務所に履歴書を送っていました。

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何日か過ぎた頃『ジャニーズジュニア臨時オーディション開催』の手紙が届き、
天にも昇る気分で生まれて初めて六本木のテレビ局に一人で行きました。
(1983年頃)

十人の参加者がおり、ただ緊張するばかりの私に、事務所の社長からその場で合格を頂け、
その上「芸能人水泳大会に参加しなさい!」といきなり仕事をもらえると言う、
何ともスピーディな展開に、もう頭の中は真っ白でした。

喜びも通り越し、呆然とその場をくりぬける歓喜で押しつぶされながらも、
その後たくさんのテレビ出演、舞台、コンサートと物凄く有頂天になっている自分に、
これからの人生を大きく左右する大事件が起きてしまいました。

それは、大阪で某グループのコンサートに同行している時でした。

コンサートが終わりホテルに戻ると、外には物凄いファンの数で埋め尽くされており、社長からは『絶対に部屋から出てはいけない!』と、強く指導が入りました。

しかし、周りの仲間達は『裏口から出れば大丈夫だよ!たこ焼き食べに行こうよ!』と盛り上がり、私は社長の言いつけが頭に過ぎり、行きたくない気持ちで一杯でした。

けれど、一緒に行かないと仲間との関係が険悪なムードになる事が嫌で、意思とは反する自分との葛藤の末、結局渋々着いて行ってしまったのです。

ホテルに戻り、非常階段から恐る恐る入ると、そこには鬼の形相で立っている社長の姿がありました。

始めて見る社長の怖い顔に、恐怖と反省と後悔が入り混じり、そしてただ立ちすくむだけの自分に、絶望が走りました。

その後は、その事がきっかけで全ては一変してしまったのです。

仕事も減り、社長から会話もしてもらえず、そして事務所を去る事となりました。

「あの時、外に出なければ・・・自分の意思を貫き通せば良かった!」

私の頭の中は、後悔で前に進めず、何年もの時間を費やした気がします。
(当時、後輩であるローラースケートのグループが活躍している姿を見るのが、本当に辛かったです。)

私にとって、ジャニーズジュニアとして過ごせた青春時代は、まるで華やかな天国と、どん底の失望を同時に経験する事が出来た18歳でありました。

あの時、ジャニーさんが私に言って下さった『おまえだけは特別だったのに!』というあの言葉が、私の脳裏に焼きついたのでしょう。

※普段はYOUと皆の事を呼ぶのですが物凄く怒ってしまった時や感情が高くなってしまった時に、こう呼ぶ時もありました(笑)

この事がきっかけで、次のチャンスこそは絶対掴んでみせる!というパワーと強い意思を自身に養えたのだと思っております。

「ジャニーさん、あの時はご迷惑をお掛けして申し訳御座いませんでした。
そして、ありがとうございました!」

※ちなみに今はご覧の通り、当時の面影など全く無い私で失礼致します。

● 二度目の転機

ジャニーズを去り、将来の不安を感じながら過ごす中、BMWとの出会いが全てを吹き飛ばしてくれたのです!!

profile_img03BMWに乗りたい!欲しい!そんな事を考えながら過ごしていた幼少時代もあり、今から約20年前に入社したBMWは、私にとって最高の場所となったのです。

私が初めて所有したBMWが、E30、1984年式 318i 5速マニュアル!

当時流行していた、国産のスポーツカーの大排気量のターボエンジンと比較してもスピードは出ないものの、吹け上がりからコーナーリングと、その時代からは考えられない完成度の高さに衝撃が走り、現在の車では表現できない体感でした!

その後も何台ものBMWを乗り継ぎ、子供の頃に受けた衝撃に更に拍車が掛かりました。

入社後は、セールスマンとして我武者羅に働き、その甲斐あって全国でもトップレベルの成績を出す事ができ、最高の時間を過ごせていました。

しかし、そんな時間も長くは続かなく、自分の意思とは関係なく、同じデスクで働きながら、買収、合併などで3回も会社が変わってしまったのです・・・

それでも、一つ目の会社では、BMWを徹底的に習得し、二つ目の会社では、人と人との繋がりの大切さを学び、

そして三つ目の会社では、常務取締役に就任して頂き、経営を学ばせて頂く事ができました。

世の中の仕組みしきたりを知る中で、大きな組織の中ではお客様ひとりひとりに対しての細かい思いを行動に移せないもどかしさから、日々ギャップとの戦い・・・

そんな時に奇跡的に以前私が初めて所有したE30の下取車が入庫し、お客様にBMWの基本を体感して頂きたく、すぐにオリジナルに仕上げ、誰でも安心して古いBMWを乗れるように仕上げてみたのです。

そして、そんな思いで仕上げたBMWをネットに掲載したところ、北海道から九州と物凄い反響があり、その感動を忘れられない私がいたのでした。

この奇跡の入庫こそが、全ての始まりだったのです!

● 三度目の転機

もどかしいギャップとの戦いの中、ジャニーズ時代の仲間との偶然の再会!(彼は努力の末、芸能事務所の社長になっていました。)
そして、昔大変お世話になった恩人の先輩との再会もあり、(今まで私が出会った中で、最も強く勢いのある方。)

その究極の再会によって、私が悩んでいる全てを吹き飛ばす事ができました。

こだわりを持っているお客様、他とは少し違う車が欲しいなど、かゆいところに手が届くような車を届けたい!

その他にも、このようなスッキリとしない体験も幾度と無く経験致しました。

お客様1『大沼君、一度で良いからジャガーに乗りたいから乗ってみるね、ごめんね』
お客様2『娘が免許を取ったから傷をつけてもいいように、安い国産車が欲しいんだけど、大沼君のところでは買えないからな・・・』
お客様3『大沼君が管理職になってからは、もう直接見てもらえなくて何だか寂しいよ』

などなど、お客様との関係は崩れないものの、どうする事もできない自分に、悔しく感じておりました。

このもどかしい思いから、私が今まで培ってきた事を最大限に引出し、それをお客様に全て表現する場所を作りたい!
そして、私を信頼してくださるお客様に、いつまでも車選びの時間と安心を共有させて頂きたい!
その熱い思いを形にしたのが、株式会社プレミアムです。

人は皆、苦労と努力の繰り返しで前進していく中で、誰でもプレミアムな楽しい時間や、満足の行く時間というご褒美の時間が絶対に必要だと考えております。

株式会社プレミアムでは、常に一生懸命の努力と勉強を重ね、お客様にご満足をご提供できるよう精進致します!!

皆様と一緒に、この時間を共有させて頂きたくお願い申し上げます。
末永いお付き合いを今後とも、宜しくお願い致します。

最後までお読み頂き、本当ににありがとうございました。

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